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国立がん研究センター

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創立50周年記念に寄せて

監事(業務) 久道 茂

監事(業務) 久道 茂写真

国立がんセンターが創立された1962年2月1日から今年でちょうど50周年記念になるという。この半世紀の歩みを振り返って、将来に何を展望するのか、を考えてみたい。記念という意味は、よく目を凝らしてこの字を見つめているとよくわかるのだが、今の心を発足当時の言葉に立ち返って己に刻み込み、さらに発展させることを誓うという事なのです。つまり、何年経とうと、原点に立ち返ること、謙虚に反省すること、そしていかに発展させるかを考えていくこと、この3つが大切です。

国立がん研究センターの目的が「がんその他の悪性新生物に係る医療に関し、調査、研究および技術の開発ならびにこれらの業務に密接に関連する医療の提供、技術者の研修などを行うことにより、国の医療政策として、がんその他の悪性新生物に関する高度かつ専門的な医療の向上を図り、もって公衆衛生の向上および増進に寄与すること」となっているのは、国立時代も独立行政法人化された今も変わりはない。50年の歴史については、他の方々がおそらく詳しく記述されると思われるので、たまたま独法化された最初の監事に就任した立場から、自分自身ががんセンターと関わった思い出を述べながら、当センターの将来について述べてみたいと思います。

私が国立がんセンターにかかわり始めたのは、財団法人宮城県対がん協会検診センター所長時代(昭和55年)に、厚生省がん研究助成金による研究班「胃集団検診効果の評価に関する研究」の主任研究者(班長)になった時からです。当時は、班員にはがんセンターの部長を始め、全国の大学教授が名を連ねており、最も若年者(38歳)であった私が班長になったのは異例の事でありました。そんなことも影響したかどうかはわからないのですが、昭和56年、私は東北大学医学部教授(公衆衛生学講座担当)に招聘されました。あえて招聘されたといったのは、当時、東北大学医学部の教授選考は候補者自身は全く知らないうちに選考されており、貴方を選びましたが就任してくれますか、といった感じだったのです。ともかく、教授になってからも、がん研究助成金による研究班の班長を務めていたのですが、昭和58年ころだったと思いますが、学内のある人の内部告発により、研究費の不当な経理処理を読売新聞にスクープされてしまったのです。当時、どこの大学も、がんセンターの各部署も行っていた当たり前のことだったのですが、研究補助職員への給与支給の仕方、研究費の出納記録とは違う日時に班会議を行ったりしていたことは確かでした。なにしろ、研究費の支給は10月頃が普通でしたし、翌年の2月末には銀行口座を解約しなければならない規定で、3月に班会議を予定していては、書類上辻褄を合わせる必要があったわけです。決して不正ではなかったのですが、不当な出納処理と言われればまったくその通りでした。色々な経緯がありましたが、その結果、私は当時の東北大学長石田名香雄先生から注意処分を受け、合わせて当時のがんセンター総長杉村隆先生から総長室で口頭注意処分を受けたのです。「不正」ではなく「不当」出納を行ったとの指摘による処分で、いささか救われたものですが、その後の自分に課してきた金銭出納処理上の厳しさは、このことがあってのことと今更ながら、むしろ感謝しているのです。この時、不当出納処理を行った部分の金額が100万円を超えていたため、無念ではあったものの個人的に返還させられました。気の毒だったのは、当時私の助教授だった清水君(のち岐阜大学医学部長、故人)も関連して数十万円の金額を返還させられたことでした。何しろ今から約30年前のことです。しかし、当時はまだおおらかなところがあって、多くの関係者は、久道と清水をダメにしないようにと、さまざまな気の配りようをしていただいたものでした。このことは今でも感謝しているところです。

これが私とがんセンターのかかわりで最も印象に残っていることです。このことがあってから、1年間のブランクはありましたが、再度がん研究助成金による研究班の班長を約10年近く勤めました。昭和62年の「大腸がん集団検診の組織化に関する研究」、平成1年の「適正な大腸集団検診制度の確立と精度の向上に関する研究」、平成4年の「諸臓器がんの集団検診の間に存する共通の問題点に関する研究」、平成6年の「各種がん検診の共通問題に関する研究」などで、その他厚生科学研究費の「がん検診の有効性評価に関する研究(平成8年)」、「がん検診の適正化に関する調査研究(平成12年)」などがん検診に関する多くの研究を班長として行い、厚生行政に少なからず寄与したのではと今でも思っております。これも多くの共同研究者の協力による賜物です。

印象に残るもう1つのことがあります。それは垣添忠生総長時代の平成15年10月にがんセンターに設置された「国立がんセンターの今後のあり方検討会」の委員長の大役がまわってきたことでした。なにしろ、副委員長には作家の柳田邦夫氏、委員には杉村隆名誉総長、歴代内閣の官房副長官を務めた石原信夫氏、読売新聞社主筆の渡邉恒雄氏、アサヒビール株式会社会長の樋口廣太郎氏、愛知がんセンター富永祐民総長、厚生労働省の担当課長などそうそうたるメンバーでした。特に渡邉氏の発言には議長の議事進行もままならぬところがありましたが、とにもかくにも会の議論をまとめ上げ、翌平成16年2月に報告書を総長に提出しました。その要点は、「正確でよりわかりやすい形での国民向け・医療従事者向け情報を充実することが重要であり、国立がんセンターには以下の6つの機能が必要とされた。(1)多施設共同研究支援機能、(2)がん診療支援機能、(3)がん対策・研究の企画・立案および推進の支援機能、(4)がん情報発信機能、(5)がんの実態把握・動向分析機能、(6)情報システム管理機能」です。これらの報告を受けて、がんセンターと厚生労働省は具体的な計画を実施し、その結果、平成17年には、がん予防・検診研究センターやがん対策情報センターの設置が具体化されたのです。報告書で提言された6つの機能については、独法化後の主要な目的や事業に生かされているように思われます。ちなみに、がん予防・検診研究センター正面玄関車寄せの前の芝生に横たわる石碑に刻まれている字は私が揮毫したものです。私ごときがと固辞したのですが、垣添総長からの強い依頼で引き受けたものです。関心のある方は一度ご覧になってください。下手な字に驚き呆れるに違いありません。

以上のようなかかわりのある私が、がんセンターが独法化された平成22年4月に大臣発令の監事に任命されて驚いたものです。30年前とは言いながら、研究費の不当出納処理により総長から注意処分を受けたことのある者が監事に就任したのです。感慨深いものがありました。幸い、当センターの監事は2名で、1人は会計監査を中心に監査する公認会計士の専門家ですし、私の役割は、主に業務監査です。以前、宮城県立がんセンター総長や病院事業管理者を経験している私にとっては、その経験を生かした業務監査ができるのではと考えました。おそらく、50年近くも同じ組織や形で運用されていれば、どんなところでも長年の埃や垢が溜まるものです。場合によっては眼にみえない大きな病巣ができ、膿が溜まっていることもあるでしょう。しかも、内部の人間にはなかなか見えないという特徴があります。

独法化された当センターの初代理事長には、外部から嘉山先生が就任しました。最初は驚きましたが、約2年経ってみると、まさに適任者を迎えたものと思います。改革は言葉で言うのは簡単ですが、実行しなければ意味がありません。改革というのは、それが急であればあるほどさまざまなところに軋みと痛みを伴うものです。しかし、理事長はそれを敢然とやってのけました。監事には、理事長の業務執行を監査する役割もあります。そのため監事2名の発令は主務大臣によるのです。センターの監事監査規定に、その目的として「センター業務の適性かつ効率的な運営に資するとともに、会計経理の適正を記することを目的とする」とあります。法令や諸規定に照らして適正かどうかということを監査することになります。病院に掛かる法律は多岐にわたっており、医師法、医療法、薬事法、保助看法はもちろんのこと、労働関連法、環境関連法、廃棄物処理法、会計処理法などに関するあらゆることが関係してきます。監事就任後、毎月の理事会に出席して驚いたことは、独法化後の1年間は、職員の規則・職務違反や不祥事が続いて明らかになったことでした。例えば、セクハラ、職員の源泉徴収税の期日内納付を忘れたための数百万円のペナルティ、患者の酸素吸入時にお灸の火を付けての事故、重要な外部委託業務に業務履行保証を契約していないというリスク管理の不徹底などなどがありました。この2年間でそれらを予防するさまざまな規則や組織をつくっており、今はもう心配がないようにまできているのです。職員の方々には、枝葉末節のことまで口を出して、と思われそうですが、監事の仕事も、「All Activities for Cancer Patients」のためです。

余計なことまで記述した心配があるのですが、今後の国立がん研究センターが世界に冠たるがん拠点になることを期待し、また、関係者の1人として自分の仕事に全力をあげたいと思います。皆様のご指導とご協力をお願いする次第です。

注:このページは、平成24年1月に作成されたものであり、所属名称や役職については平成24年1月24日現在のものとなります。

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