第5回 市民公開講演会「がんについて」
抗がん剤の有効性と危険性
国立がんセンター中央病院 放射線治療部長 西條 長宏
はじめに
1.「がん」とはどういう病気でしょうか
2.「がんの治療」にはどのようなものがあるのでしょうか
3.「抗がん剤」治療とはどのようなものでしょうか
4.抗がん剤と臨床試験
はじめに
今日は「抗がん剤の有効性と危険性」というタイトルでお話します。新聞あるいは週刊誌などのメディアで、抗がん剤のことをよく目にされることがあると思います。ある新聞の論説委員の方に伺ったのですが、がんに関するある治療法について「非常によく効いてすべて治る」、あるいは逆に「まったく効かなくて副作用ばかり出る」と書くと、その新聞や週刊誌は非常によく売れるそうです。ところが「何%の患者さんで何%ぐらい治療成績が向上するか」というようなことを書いても、まったく売れないということです。このように新聞や週刊誌に載っているがん治療に関する記事というのは、かなりの部分で不正確か、あるいは「全くのうそ」ということになるわけです。1.「がん」とはどういう病気でしょうか
1)高齢化社会とがん
日本人の原因別死亡率で、がんは1980年に死亡率のトップになり、そこから急増していることは皆さんご存じのとおりです。3.7人に1人はがんで死亡し、人口の高齢化、他疾患による死亡の減少という2つの要因によって、がん死亡率の増加は急速に進んでいます。わが国の人口構成は1930年には見事なピラミッド型で、若年者が多かったのですが、1985年では若年者の数が減り、高齢者が増加しており、2000年では若年者が高齢者よりも少なくなると予想されます。がんは40歳ぐらいまではまずおこらず、60歳以上になってからがほとんどですから、今後がんになる人は急激に増えていくことが予想されます。2)「がん」の呼び方と分類
「癌」という字は、「品」という字で細胞をあらわし、それが山のように盛り上がって病気になるということです。広辞苑では「悪性の疾患、または除きにくい邪魔者のたとえ」と記されてあります。がんはいろいろな呼び方をされます。白血病、肉腫、良性腫瘍、悪性疾患、悪性腫瘍、悪性リンパ腫……。平仮名で「がん」と書く場合は、これらをすべてさします。
漢字で「癌」と書く場合は、身体の表面をおおう上皮組織にできる悪性腫瘍をさし、それに対して「肉腫」は、上皮組織ではない、例えば筋肉などにできる悪性腫瘍で、「白血病」は血液を造る細胞から生じた悪性疾患、「悪性リンパ腫」はリンパ系組織から生じた悪性疾患をさします。
「腫瘍」とは体内で周辺組織とは無関係に過剰な増殖を行う細胞のかたまりを呼び、良性と悪性の双方があります。
では「良性」と「悪性」とではどこが違うのでしょうか。例えば、胃の粘膜のポリープなどはとってしまうと治ります。切る必要がない場合もあります。一方、悪性腫瘍はリンパ液、あるいは血液に乗って、他の臓器へ移っていきます。これを「転移」といいます。したがって、ここだけ切りとっても意味がないということになります。その転移によってさまざまな悪影響をおよぼします。例えば脳に転移すると、頭痛、悪心・嘔吐、めまい、運動麻痺、知覚麻痺、意識障害などがおこり、肺の転移では咳、呼吸困難、胸痛などがおこります。
では「良性」と「悪性」とではどこが違うのでしょうか。例えば、胃の粘膜のポリープなどはとってしまうと治ります。切る必要がない場合もあります。一方、悪性腫瘍はリンパ液、あるいは血液に乗って、他の臓器へ移っていきます。これを「転移」といいます。したがって、ここだけ切りとっても意味がないということになります。その転移によってさまざまな悪影響をおよぼします。例えば脳に転移すると、頭痛、悪心・嘔吐、めまい、運動麻痺、知覚麻痺、意識障害などがおこり、肺の転移では咳、呼吸困難、胸痛などがおこります。
また、悪性疾患ではこの転移という特徴に加え、もうひとつ「再発」という特徴があります。転移は、最初にできたがんが異なった場所に移り、そこで増殖することをさしますが、再発は、最初の治療から時間がたってから、潜んでいた、あるいは残っていたがんがまた増えてくることをいいます。
この「転移」と「再発」という2つの性格が悪性腫瘍、あるいはがんたるゆえんであります。
2.「がんの治療」にはどのようなものがあるのでしょうか
1)がん治療の目的
それでは、なぜがん患者さんを治療するのでしょうか。あたりまえのようですが、まず最大の目的は生命を永らえさせるため、そして、そのがんの増殖を遅らせるため、さらにがんによる症状から解放するため、全身状態(QOL:生活の質)の改善のため。これらの目的でがんを治療するわけです。いつ、どのような治療を行うのかの決定についてはたくさんの要素によって左右され、それらを十分考慮する必要があります。2)局所療法と全身療法
がんの治療は、「局所療法」と「全身療法」に分けることができます。局所療法は「手術療法」と「放射線療法」があり、手術はがんを含めて正常組織の一部を切りとって、がんをなくしてしまう治療法、放射線療法はがんのあるところへ高エネルギーの放射線を照射したり、あるいは小線源を腫瘍の近くに埋め込み、がんをなくす方法です。一方、全身療法は抗がん剤、ホルモン剤などの薬剤を、内服や静脈内注射などで投与する薬物療法が主体になります。
それぞれの治療法には、それぞれの目的があります。
手術療法は原発巣(がんが最初にできたところ)にがんがとどまっている限りにおいて、完全治癒が可能です。しかし転移をした場合に、それを切除するということは、一部の病態を除きあまり意味のあることではありません。放射線療法も同様に、原発巣にとどまっているがんであれば完全治癒が可能な場合もあります(喉頭がんや子宮頸がんなど)。また、放射線療法には骨転移などで非常に疼痛が強い場合に、その痛みを緩和するという威力もあります。
それに対して全身療法である薬物療法ですが、一部の疾患(白血病、睾丸腫瘍など)では、完全治癒が可能です。また、乳がん、肺がんなどでは、転移があっても延命が可能であったり、症状を緩和することができるという効果をもちます。
局所療法と全身療法の違いは、例えば田んぼの雑草を刈りとるか、薬をまくかの違いに似ています。雑草が一部分であれば刈りとれますが、あちこちに雑草が生えてきたら、薬をまき、正常な作物も多少はやられるかもわからないけれども、雑草をやっつける。こういうやり方が、「がんの化学療法」(薬による療法)です。
がんの治療は、現在の状況では、手術や放射線による治療で40%前後が治癒し、7〜10%で何らかの形で抗がん剤の寄与により治癒しています。つまり約 50%の人は手術療法、放射線療法あるいは化学療法で治るわけですが、それ以外は治らないというのが現状です。今後これをどうすればよいかということですが、早期発見により局所治療で治る部分を増やす努力、また、新しい治療法を開発し、全身療法で治る部分を増やすという努力が必要です。
もうひとつ重要なこととして、「がんの予防」があります。それにより、がんの発症自体を減少させ、がんで亡くなる方を減らすことができます。
がんに対してはこの2つの努力が必要ですが、今日は全身療法、化学療法についてお話します。
3.「抗がん剤」治療とはどのようなものでしょうか
「薬」には、一般に「効果」と「副作用」の双方があります。効果のほうがずっと強くて、副作用がほとんどないものとして、例えば風邪や頭痛に対するバファリンがありますね。副作用としては、時々胃が痛むなどがありますが、ほとんどの人は数分ですっきりする。このように効果が多くの人でわかりやすくあらわれるというのが通常の薬です。では、抗がん剤はどうでしょうか。1)一般の薬と抗がん剤の違い
がんに対する薬は現在約70種類あり、その中には飲み薬もあれば注射もあります。これを「必殺仕事人」と「必殺仕掛人」の2つの種類に分けることができます。仕事人は、それ自身ががんを殺す能力をもったもので、抗がん剤はこの必殺仕事人になります。一方、免疫療法剤は必殺仕掛人で、自分自身はがんを殺すことはできないけれど、がんを殺すものを助ける機能をもったものです。大半の抗がん剤は、前者の必殺仕事人の役割を果たしているわけです。「おぼれる者はワラをもつかむ」で、私ががんにかかったとしても、やはり何でもいいから助かりたいと思うわけで、今世の中にワラ――本当に効かないようなものがいっぱい流布していることは事実であります。それがワラであるかワラでないかを、かかりつけの先生方とよく相談し、判断していく必要があります。
それでは、抗がん剤はどうでしょうか。皆さんが「抗がん剤」と聞いてすぐに考えつくことは、「副作用ばかりが強くて全然効果がない」ということでしょうか。確かにそうかもわかりません。新聞にもそう書いてある。副作用ばかり強くて効果がない。非常に危険がある。全くそのとおりであります。
先ほどのバファリンは、大半の人で非常によく効いて、副作用がほとんどないという、効果と副作用が理想的なバランスです。しかし、抗がん剤の場合は、効果と副作用が同じくらいという場合もありますし、また、効果がほとんどなくて、副作用ばかりという場合もあります。普通の薬と違い、非常に使いづらい薬である、治療を受ける側にとっては困った薬であるということがいえると思います。
抗がん剤の副作用は、他の薬に比べて非常に強い。それは確かであります。悪心・嘔吐、脱毛、白血球減少、血小板減少、肝機能障害、腎機能障害などが非常に強くおこります。また薬によって、副作用の種類、程度は異なり、副作用の出方には個人差があります。そして、ある特定の抗がん剤で、副作用が強く出た人ほど効果があるということは、残念ながらありません。これらの副作用を何とか軽くしようという努力が必死になって行われておりますが、それでも完全になくすことはできておりません。
なぜ、普通に使われる薬と抗がん剤とではそんなに違うのかですが、薬は一般に投与量を上げると効果が出てきます。もっともっと投与量を増やすと今度は副作用が出てきます。この効果と副作用の幅が非常に広いのが一般の薬で、通常量の10倍ぐらい投与しても、それによって死ぬことはない。これが一般的な薬です。
これに対して抗がん剤は、効果をあらわす量と副作用を出す量がほぼ同じ、あるいは場合によってはこれが逆転している場合さえあります。すなわち、投与量が少ないところですでに副作用が出て、さらに投与すればやっと効果が出るといったような場合です。このように必ずといっていいほど、患者さんは効果と副作用を同時に味わうことになってしまいます。
2)抗がん剤の効果とは
ところで「抗がん剤が効く」ということで、皆さんはどのようなイメージをもたれるでしょうか。例えば新聞で「この抗がん剤はよく効く」と書いてあれば、恐らく「これでがんが治る」と思われると思います。しかし、そんなことはありません。抗がん剤でがんが完全に治るということもまれにはありますが、通常「抗がん剤が効く」という場合、「がんは治らないが寿命が延びる」ぐらいがいいところでありまして、「寿命も延びないけれども、がんが小さくなって苦痛が軽減される」ぐらいのところでも、「抗がん剤が効いた」とわれわれはいっているわけです。もちろんそれで喜んでいるわけではなく、喜ぶのはやはりがんが完全に治る場合です。しかし、抗がん剤投与の場合、多くの患者さんでは、抗がん剤の副作用だけを経験することになります。悪性疾患に対する抗がん剤の効果ですが、抗がん剤で治り得る疾患は、急性白血病、リンパ性白血病、悪性リンパ腫、睾丸腫瘍、絨毛がんなどです。これらは1年間に1,500〜1,600人が死亡するといった、非常にまれな疾患です。胃がんや肺がんは、年間にそれぞれ70,000人と50,000人ですから、それらに比べると非常に少ない疾患です。
また、病気の進行を遅らせ得るがんとしては、乳がん、卵巣がん、骨髄腫、小細胞肺がん、骨髄性白血病、悪性リンパ腫などがあります。
投与した患者さんのうちの何%かで効いて、症状が和らぐというのが、前立腺がん、甲状腺がん、骨肉腫、頭頸部がん、子宮がん、肺がん、大腸がん、胃がん、胆道がんなどになります。
効果がほとんど期待できず、がんが小さくなりもしないというがんに、脳腫瘍、黒色腫、腎がん、膵がん、肝がんなどがあります。
患者さんの数が多いがんをみると、抗がん剤による治療では、がんが小さくなって、そして症状が和らぐというぐらいが、まあまあいい効果であると思います。
薬を投与する場合、例えばばい菌に対する抗生物質では、あらかじめその抗生剤がそのばい菌に効くかどうかを検査した上で、患者さんに投与します。そのようなことが抗がん剤でできないのかという疑問が当然出てきます。投与する前に、「抗がん剤感受性テスト」(がん細胞と抗がん剤を接触させ増殖の抑制をみる検査)を行いますが、この検査が当たる確率はだいたい50%です。こうした検査は、やってもやらなくても同じということになるわけです。もう少し効果を予測できるような検査が、今後開発される必要があると思われます。
また、抗がん剤で治療して、画像診断ではがんが非常に小さくなり、よく効いたようにみえたとしても、残念ながら治ることはありません。せいぜい生存期間が少し延びるぐらいであり、再発してきます。それでも見た目には非常に華々しく効いたように見えますので、「効いた効いた」といわれるわけです。
抗がん剤による治療のイメージとしては、非常に軽い抗がん剤による治療を受け、副作用がほとんどなく、治療中ピンピンしている患者さんの多くは昇天してしまいます。一方、非常に厳しく化学療法を受けた患者さんは、その間ぐったりとベッドで寝込んでしまいますが、そのうちの何%かは治って、もりもり仕事ができる。化学療法というのは、こういうようなものであります。厳しい化学療法では、非常に苦痛を味わうということも事実ですから、これをいかに軽減していくかということが、今後の大きな研究課題のひとつであります。
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3)データからみる抗がん剤の効果
図1は、少し難しい図で申し訳ありませんが、100人の患者さんがおられるとして、何もしなければAのカーブで次第に亡くなられていき、最後にゼロになります。通常の化学療法はBのカーブで、生存期間を倍ぐらいに延ばしますが、やはりゼロになります。先ほどお話した、抗がん剤が比較的効きにくいがんでの延命効果というものはこのようなものです。図2では、非常に強力な治療をしたCの生存曲線と、何もしないAの生存曲線とを比べたものです。ある時点まではほとんど変わりませんが、そのうち25〜 30%の人でがんが治ってしまう。このような治療法もあります。先ほどの「抗がん剤がよく効くがん」、白血病、リンパ肉腫ではこのような状況であるわけです。
図1と図2を重ねたものが、図3です。Aが何もしない時の生存曲線、B'やC'で、Aに比して、生きている人のパーセンテージが下がるということです。これは抗がん剤の毒性による死亡であります。
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また、全体でみた生存期間が倍になり、しかし最終的にはみんな死んでしまうという治療法と、全体の生存期間は倍にはならず多くの人では駄目だけれども、 1/4あるいは1/3の人は治る。そのどちらを選択するかも非常に難しい問題です。
4)がん治療の効果とリスク
ここで化学療法以外の治療法の死亡率をみてみます。 食道がんの手術死亡率は1989年までは4.3%ですが、90年以後、非常に厳しい手術をするようになり、8.1%です。100人のうち8人ぐらいが手術で死亡するということで、これは手術の副作用、手術自体の毒性であります。膵臓がんの手術死亡率は、1950年代は51〜61%、半分以上の人が手術で亡くなっています。それが80年代では手術手技が改善され16%ととなり、現在は0.4%で、手術による死亡はほとんどないといえます。
また、肺がんに対する放射線+化学療法による治療に関連した死亡は、米国、カナダではそれぞれ10%と15%。それに対して大阪3%、東京8%です。一方、5年生存率は米国・カナダが34%、東京・大阪が13%です。つまり、根治が期待される治療法を受けるには、これぐらいのリスクを覚悟して判断をしないといけないわけです。
米国でつくられ注目されている「タキソール」という薬があり、一方、「塩酸イリノテカン(CPT-11)」というわが国でつくられた非常にいい、最近注目されている薬がありますが、CPT-11は非常に強い副作用でたくさんの人が死んだと報道された薬です。薬が売られる前の臨床試験中、4.4%、55名の人がその治療による死亡を経験しています。市販後の死亡例数が――これが新聞に載った数字でありますが――0.77%です。
一方、米国におけるCPT-11は、臨床で2,360人に投与され、111人、4.7%が早期死亡、治療関連死が0.6%で、先ほどのわが国の数字と同じということになります。副作用あるいは治療関連死の程度が米国とわが国でほとんど同じであるこのCPT-11は、米国では大腸がんに非常によく使われていますが、わが国ではほとんど使われていません。それはなぜでしょうか?
それには、いろいろな理由があります。例えば、米国では市販されていないけれども、わが国では繁用されている抗がん剤がある。つまり、他に薬があるということ。それから、患者さんの死生観からくる、がん治療、抗がん剤に対する考え方が米国とわが国では違うということがあります。
5)リスクに対する許容度
また、患者さんと医師双方の、化学療法に伴う副作用に対する「許容性」が日米で異なるということがあります。この許容性の違いの原因については、今後われわれだけではなく、患者さんといろいろ議論を重ねていく必要があると思われます。がん治療における「許容範囲内」の危険――これは治療により許容できる死亡率というように考えてもらっていいと思いますが、「何もしなければ4ヶ月の平均生存期間が、倍の8ヶ月に延びる、ただし延びても8ヶ月である」という治療法を行う場合、ある医師は「だいたい3〜5%でその治療による関連死がある」と考えます。ところが、ある一般の人では「生存率が倍になるのであれば、30%ぐらいで治療関連死があっていい」と考えています。別の一般の女性は「これぐらいの延命効果では、その治療法では1人も死んではいけない」と考えます。
また、治る率が10%から20%に上がった場合、ある医師は「5%〜10%で治療関連死がある」と予測しておりますが、「80%の人が死んでもいい」と考える人もいれば、「1〜2%が許容できる限界」と考える人もいます。治療成績の向上とその治療関連死をどこまで許容し得るかということについては、それを受けとめる人によって、全然違った基準でものごとを考えているということが如実に示されていると思われます。
6)抗がん剤の有効性判断に関する社会的コンセンサスを
これまでのお話をまとめますと、まず、抗がん剤を用いる化学療法では一定の危険がつきまとうのは避けられません。しかも、どの程度の危険なら許容範囲内であるかについての社会的合意はされておらず、今まで議論されたことはなかったと思われます。治療の危険性の許容範囲は、その治療法の性質によって異なります。先ほどいいましたように、手術と化学療法では危険性の受け止められ方が全然違います。また、治癒を目指す治療法といえども、本質的には延命効果であることには変わりはありませんから、見た目のみで判断することは、非常に危険を伴います。そして、どのような治療法を選択するかは、医学的、統計学的には答えられないものであり、それは社会的あるいは哲学的な問題であるということが、おおよそ理解されてきたのではないかと思います。
毒性が強く、しかもわずかな治療効果しかない化学療法であっても、その治療を希望する患者さんは、われわれの想像以上に多いのです。化学療法はそれなりに進歩しており、今後これがさらに進歩を遂げるかどうかについては、まだ未知数であります。それを、この程度の成績では受ける意味がないとして葬ってしまうべきか。どれぐらいの治療成績の向上でそれに重要性を認めるのか。これについてのコンセンサスを得るための議論が必要ではないかと思われます。
4.抗がん剤と臨床試験
1)臨床試験と実地医療
「治療成績の向上」といった場合、それは何に比べてよくなったのか、あるいは何もしないのに比べて本当によくなったのか、そうした疑問は必ず出てきます。その答えが臨床試験であり、「これぞゴールドスタンダードである」という標準的治療が実地医療であります。5年生存率がわずか20%くらいのがんの治療、延命効果を示し得ないがんの化学療法に果たして実地医療があり得るかどうかも疑問と思われます。「もっとよい治療法」といった時に、「もっと」とは、現在行われている標準的治療と比べて判断する必要があります。「よい」あるいは「悪い」という判断は科学的であり、同時に倫理的であるべきで、思い込みや限られた判断だけで、よいとか悪いとかをいうことはできません。そして、治療方法については、新薬は実際の治療として試みる必要があり、そこで臨床試験が必須になってきます。
米国の国立がん研究所には、臨床試験の患者さんだけが入っております。わが国の国立がんセンターは、臨床試験だけ行うというわけにはとてもいきません。社会保険制度の違いもありますし、また建てられた目的自身がまったく異なるからです。
| 表1 臨床試験で評価の必要な診断・治療 |
| 1) 新しい手術術式 2) 新しい放射線照射装置 3) 新しい放射線分割照射法 4) 放射線感受性増強剤 5) ハイパーサーミア 6) 新しい抗がん剤(アナログを含む) 7) 新しい併用化学療法 8) 抗がん剤の新しい投与法 9) 新しいBRM 10) 手術+放射線療法 11) 手術+化学療法 12) 手術+BRM 13) 放射線療法+化学療法 14) 放射線療法+BRM 15) 化学療法+BRM 16) 腫瘍遺伝子産物などを含む 生物学的マーカーの意義 17) 新しい手法による臨床病期分類 18) 副作用軽減剤 19) 化学予防 |
2)臨床試験を必要とする条件
臨床試験で評価することが必要な診断・治療法を表1にリストアップしました。よく新聞で報道される臨床試験は、薬に対してだけのように思われますが、新しい手術術式、放射線照射に対しても、それらが本当にいいのかどうかの試験が必要です。例えば、がんの部分を温めることによりがん細胞の死を誘導することを目的とした「ハイパーサーミア」は、検証なしに臨床に導入され、現在治療法としてはほとんど成立しなくなくっています。もちろん新しい抗がん剤の併用療法、投与法などについても臨床試験が必要で、また、これらを組み合わせた治療法についても行われます。また、腫瘍遺伝子産物を含めた診断法についても、従来の診断法と比べ、本当に意味があるかどうかを問う必要があります。さらには臨床病期の分類法、副作用軽減剤、あるいは化学予防などについても臨床試験が必要です。1994年に朝日新聞の記事で、「科学技術庁放射線医学総合研究所の速中性子線がん治療研究のデータの3/4が使えなかった」と報道されました。この研究の大半は非常に無計画に行われており、本当にこの治療法が従来の放射線照射に比べていいかどうかということが検討できるような研究ではなかったのです。
従来の治療成績との比較試験によって、新しい治療法新しい薬剤が開発され、その臨床試験を積み重ね、だんだんステップを上がっていき、最終的にがんの克服に近づいていく必要があります。このステップをひとつずつ上がっていくのには、従来の標準的な治療と比べる試験は必須なのです。
この臨床試験が成立するためには、医師がどの治療法が優れているか全くわからないということが必要な条件です。どちらのほうがいいということがはっきりしていれば、試験自体が成立しません。一方、臨床試験が成立しない条件ですが、医師あるいは患者さんが特別な治療を好む場合は成立致しません。
3)臨床試験を支える科学と倫理−インフォームド・コンセントの重要性
がんの臨床試験を支える大きな柱が2つあります。ひとつはそれが科学的に証明できるかどうか。もうひとつは倫理的に正しいかどうかです。そのためには、試験計画をきちんと立てる必要があります。また、その科学性と倫理性を保証するために、一部の人の思い込みだけでないかどうかを、第3者の目で審査してもらう必要があります。さらに重要なことに「インフォームド・コンセント」があります。あるアンケートで、それを「電気の部品である」と答えられた方が40%おられるそうで、まだまだ浸透していない言葉であります。「説明と同意」と訳されますが、ここでは臨床試験として何を行うのかを、医師は患者さんにきちんと説明する必要があります。そして患者さんはこの医師の説明をよく聞き、その試験に本当に意味があるかどうかをよく考え、患者さんがそれに同意した時にのみ、臨床試験が行われるということです。その「意志表明」は通常同意文書に署名して行われますが、借金の証文とは違いまして、いつでも撤回できます。また、撤回したからといって患者さんに不利益は一切ありません。
また、それにより得られたデータが正確なものであるかどうか、きちんと管理されているかどうかも重要です。ミスだらけで、ほとんど「うそ」であるというようなデータでは誰も信用することはできません。しかし、そのプロセスにおける、患者さんのプライバシーは厳密に保管されることになっております。
抗がん剤の臨床試験は、通常、副作用をみる試験(第I相試験)と、その次にがんが小さくなるかどうかをみる試験(第II相試験)があります。この試験が終了し、その成績がある一定のハードルを越えれば、その抗がん剤は販売されます。さらに売り出されてから、本当にその抗がん剤が延命効率、あるいは根治率を向上させるかということの臨床試験(第III相試験)が行われます。そのため、その抗がん剤が売りに出される時点では、その薬が延命効果をもつか、あるいは根治率を向上させ得るかどうかについてのデータはありません。
臨床試験が開始された「化合物」が「薬」になる確率は大体10%です。10のうちひとつがやっと薬になり、残り9つの臨床試験に同意された患者さん自身にとっては、何のメリットもなかったということになります。ですから、医師に臨床試験への参加を求められた患者さんは、今日の話をよく思い出していただき、きちんとした情報を得るようにされる必要があると思われます。
4)臨床試験でわかる抗がん剤の効果
臨床試験でわかることは何かですが、例えば、乳がんの術後化学療法の市販後試験で、手術だけの場合に比べ、それに化学療法を足すと「10年生存率」が 10%よくなります。「10%とはわずかじゃないか」という方もおられると思いますが、これでも全体の患者数からしますと非常に大きい数字です。また、肺がんでIII期の非小細胞がんといわれるものがありますが、それに対する最近の放射線と化学療法の組み合わせでの治療で3年生存率、あるいは5年生存率が従来の治療法に比べて10%よくなる、というようなことがわかっています。その10%は絶対数にして1,600人です。これはある種類の白血病の患者さん、あるいは脳腫瘍の患者さんの総数と同じ数字です。すなわち一見わずかの人しか助かっていないようにみえても、実は多くのがん患者さんが治癒しているといえます。以上、いろいろとお話して参りましたが、安全かつ有効な抗がん剤治療を開発するためには、科学的、倫理的な臨床試験の必要性に関して社会的合意が確立されることが必須であると思われます。今日のような機会を何回ももつ必要があることを強調したいと思います。
最後になりますが、国立がんセンター中央病院に、「どなたでも、いつでも、気軽に」受診いただきたいということを申し上げて終わりにしたいと思います。
ご静聴ありがとうございました。
--出典--
診療と新薬 第35巻 第7号 58-70頁


