がん医療における自殺対策の手引き 2025年度版
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50Ⅱ章(総論)において、がんの軌跡を3つの時期に分けて自殺対策を考慮することの重要性が示唆されていることを鑑み(1)、本章では進行がんの中でも、がん診断後一定の時期(がん診断後概ね6か月)を経過した、積極的治療中から積極的治療中止前後の時期、そして積極的治療中止後の終末期におけるがん患者の自殺対策について述べる。なお、診断時に進行がんであった患者の場合は、Ⅲ-2章のがん診断直後の自殺対策についての章も参照のこと。進行がん患者のみを対象として自殺の背景要因を検討した調査は極めて限られている。在宅緩和ケア受療中に自殺で死亡した終末期がん患者5人に関して心理学的剖検(患者をよく知る医療従事者や家族への面接等を通して、自殺時の精神心理状態を推測する検討方法)を行ったイタリアの報告では、多くの症例に身体的苦痛のみならず、抑うつをはじめとした精神的苦痛が並存しており、全例に共通してみられた要因として、自律(autonomy)および自立(independence)を失うことに対しての懸念および他者への依存の拒絶がみられたことが示された(2)。一方、その他の特徴として、全例で家族や医療従事者との関係は良好であったなどソーシャルサポートの側面の問題は目立たなかったことや4人は頑固な性格傾向(strong character)を有していたことなども報告されている。少数例の1報告ではあるが、本結果からは、進行がん患者の自殺の背景を考える際には、がん診断直後やがんサバイバーの時期とは異なり、身体状態、精神心理状態に加え、自律性・自立性の喪失や他者への依存をめぐる問題などの実存的苦痛や個々の患者の性格傾向を踏まえた価値観などにも踏み込んだ対策が必要であることが示唆される。ニュージーランドで行われた検死を受けた自殺事例を対象とした検討では、自殺で死亡した65歳以上の終末期がんの患者23人をその他の自殺者群と比較すると、高齢の終末期がん患者群では、有意にうつ病と精神保健サービスの利用が少なく、83% が「合理的な自殺」だと判断されたと報告されている(3)。なお、「合理的な自殺」に関しては Siege(4)の提唱するクライテリア(自身の状況を現実に即して正しく理解している、精神疾患や情緒的な苦痛によるものではない、大多数の第三者にとって動機が了解可能である)のうち、検討可能であった「動機が了解可能」のみを満たすものとしているなど、結果を考察するうえで大きな限界があることには注意が必要である。この調査は、高齢者の終末期がんにおけるうつ病の過小評価の可能性に加え、自殺の中に「合理的な自殺」の定義に該当するものが高頻度に含まれている可能性を示唆しており、高齢で終末期のがんを有した患者に対しては、うつ病診断の難しさに加え、身体状態や置かれた状況を勘案することなく自殺という行為だけに着目して、単に行為を不可能・禁止にすればよいという姿勢に疑念を呈した内容となっている。これらの報告からは、進行がん患者の自殺の背景を考える際には、身体症状や精神症状の緩和が必須であるのみならず、実存的苦痛に関する検討や、合理性なども含め一義的に否定すべき事態と考える以外の立場も含めた議論が必要であることが示唆される。一方、治癒が望めない疾患の患者や現在の医療水準では症状緩和ができない苦痛症状を有する終末期疾患に対する安楽死や医師による自殺幇助については、欧米諸国を中心に制度化されている地域もあるが、わが国においては本格的な社会的議論には至っていない。今後、倫理、法制度、文化的背景を含む多角的な視点からの学際的な検討が求められる。1.本章で扱う進行がん患者の時期の定義について2.進行がん患者の自殺-背景要因Ⅲ-3.進行期(積極的治療中〜中止前後、終末期)の自殺対策

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