肺がんの脳転移に関与する遺伝子変化を特定脳転移の予測・治療法の開発に期待
2025年12月18日
国立研究開発法人国立がん研究センター
発表のポイント
- 肺がんは進行に従い脳転移を起こすことが多く、患者さんの予後を悪くします。
- 肺がん患者さん約1,100人のがん組織を調べることで、脳転移を生じた肺がんには15番染色体長腕の一部(15q15領域)の欠失が多いことを発見しました。
- 15q15欠失がある患者さんでは、肺がんが脳内で生存しやすくなっていると考えられました。
- 15q15欠失を伴う肺がん細胞の増殖は、酸化的リン酸化を標的とする薬剤によって阻害されやすいことが示されました。
- 本研究成果は、肺がん患者さんの脳転移の予測や治療法の開発に役立つことが期待されます。
概要
国立研究開発法人国立がん研究センター(東京都中央区、理事長:間野 博行)研究所ゲノム生物学研究分野 白石 航也ユニット長、河野 隆志分野長、中央病院呼吸器内科 宮腰 純特任研究員、中央病院脳脊髄腫瘍科 成田 善孝科長らの研究グループは、日本人の肺がん患者さん約1,100人のがん組織を解析することで、15番染色体長腕の一部(15q15領域)注1の欠失があると、MYCシグナル注2および酸化的リン酸化(OXPHOS)注3経路が活性化し、脳転移の発生率を高めることを明らかにしました。欠失領域にはMYCシグナルの抑制因子であるMGA遺伝子注4が含まれ、MGA遺伝子を欠失した肺がん細胞株は、酸化的リン酸化を標的とする薬剤への感受性が高いことが示されました。今回の研究成果は、肺がん患者さんの脳転移の予測や治療法の開発に役立つことが期待されます。
本研究成果は、2025年11月7日付で、国際学術誌「Journal of Thoracic Oncology」に掲載されました。
背景
肺がんが進行するとしばしば脳に転移することが知られています。脳転移は痙攣や意識障害といった難治性の症状を引き起こし、侵襲的な治療が難しいため、その予測や効果的な治療法の開発が望まれています。肺がんは組織型に分けることができますが、その中で最も発生頻度の高い肺腺がんは、EGFR遺伝子注5の変異が原因となることが明らかになっています。特に日本人を含むアジア人では、EGFR変異を原因に発生する肺腺がんが欧米人よりも多く、肺がんの約半数を占めます。
EGFR遺伝子に変異を持つ肺腺がんは、特に脳転移を起こしやすく、患者さんの予後を悪くする大きな要因となっています。しかしながら、これまでの研究で、肺がんの脳転移に関与する遺伝子の変化は明らかにされていませんでした。本研究グループは、国立がん研究センター中央病院で手術を受けた約1,100人の肺がん患者さんのがん組織の遺伝子の変化と脳転移の発生との関係を調べることにより、15番染色体長腕の一部(15q15領域)に欠失を起こしている肺がんは、手術後に脳転移を起こしやすいことを明らかにしました(図1)。
図1 脳への転移に関与する遺伝子変化の特定
研究成果
1. 15q15欠失を持つ肺がんは脳転移を起こしやすい
本研究グループは、国立がん研究センター中央病院で切除された約1,100例の肺がん組織を用い、DNAとRNAの変化を、全ゲノム・エクソーム解析注6、RNAシークエンス解析注7の手法を用いて調べました。その結果、外科的切除後に脳転移を起こした患者さんでは、起こさなかった患者さんと比べて、15q15欠失が多く生じていることがわかりました(図2a)。
欠失領域にはMYCシグナルを抑制する働きを持つ遺伝子であるMGAが含まれていました。15q15欠失を持つ肺がんは、持たない肺がんと比べ、外科的切除後の脳転移の発生率が3.9倍高いことが分かりました(図2b)。また、肺がんの原発腫瘍と脳転移の両方を発症している患者さん15人について解析した結果、約半数で原発腫瘍では顕著でなかった15q15欠失が脳転移で検出されました。以上の結果から、15q15欠失は、肺がんの脳転移を起こしやすくする遺伝子の変化であると考えられました。
図2 脳転移を起こした肺がんでは15q15欠失が多く認められる
a.脳転移を起こした肺がんでは、起こしていない肺がんと比べ、15q15欠失が多く生じています(統計学的有意差あり)。一方、ほかの遺伝子の変化の差は顕著ではありません。

2. 15q15欠失はEGFR遺伝子変異を持つ肺がんに多く発生する
EGFR遺伝子に変異を持つ肺がんでは脳転移の発生が多いことが知られています。今回の研究で15q15欠失は、EGFR変異のない肺がんと比べて、EGFR変異のある肺がんでより多く見られました(図2)。EGFR遺伝子の変異はアジア人の肺がんで多く認められ、欧米人の肺がんでは少ないことが知られています。今回、15q15欠失はアジア人でも欧米人でも、EGFR変異のある肺がんでより多く見られました。よって、人種によらず、15q15欠失はEGFR変異のある肺がんに多く生じる遺伝子の変化であることがわかりました。
図3.15q15欠失はEGFR変異をもつ肺がんに多く生じている
アジア人、欧米人の両方で、15q15欠失はEGFR変異肺がんに多く見られます。なお、欧米人患者さんのデータは、米国のTCGA (The Cancer Genome Atlas) データベースより取得し、本研究の解析に用いられました。

3. 15q15欠失を持つ肺がんの増殖は酸化的リン酸化反応の阻害薬で抑制される
脳は肺とは異なる臓器ですので、転移した肺がん細胞が脳の中で生存するためには、有利な特徴を獲得していると考えられます。本研究では、15q15欠失を持つ肺がんでは、欠失領域に存在するMGA遺伝子のRNAの量が低下しており、その結果、細胞の中のMYCシグナルと酸化的リン酸化(OXPHOS)が増強していることが示されました。このことにより、肺がん細胞は脳内の環境で生存しやすくなっていると考えられました。また、15q15欠失を持つ肺がん細胞株は、持たない細胞と比べ、酸化的リン酸化を阻害する薬剤ELESCLOMOL注8によって増殖が抑えられやすいことがわかりました(図4)。
様々ながん細胞株のデータを公開するDepMapデータベースを用い、15q15欠失を持つ肺がん細胞がどのような薬剤によって増殖が阻害されやすいか網羅的に調査しました。その結果、15q15欠失を持つ肺がん細胞は、OXPHOS阻害薬であるELESCLOMOLにより増殖が抑えられることが分かりました。左のグラフの点は、様々な肺がん細胞株のELESCLOMOL に対するAUC(Area Under Curve)の値を示し、AUCの値が小さいほど、低い薬剤濃度で増殖が抑えられることを意味します。

展望
本研究では、肺がんの脳転移に関与する遺伝子の変化として15q15欠失を同定しました。将来的に、肺がん患者さんの手術や検査で得られたがん組織を用いて15q15欠失を調べることで、脳転移の発生を予測できる可能性があります。また、肺がん細胞が15q15欠失により獲得する性質を明らかにすることで、効果的な脳転移の治療法を開発できると考えます。本研究グループは、がんの脳転移の治療成績の向上を目指し、今後も研究を続けてまいります。
研究支援
本研究は、 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)(JP25ck0106879, JP25tk0124004)、科学技術振興機構(JST)CREST(JPMJCR1689)、科学技術振興機構(JST)AIP-PRISM(JPMJCR18Y4)、国立がん研究センター研究開発費 (2023-J-2:バイオバンク/コアファシリティ) などの支援を受け、行われました。また、今回の研究は、当センターのバイオバンクの試料を用いた研究です。試料をご提供いただきました患者さんに深く感謝申し上げます。
発表論文
雑誌名
Journal of Thoracic Oncology
タイトル
Chromosome 15q15 Deletion Drives Brain Metastasis in Non-Small Cell Lung Cancer
掲載日
2025年11月7日
DOI
10.1016/j.jtho.2025.11.001.
URL
https://www.jto.org/article/S1556-0864(25)02894-1/fulltext(外部のサイトにリンクします)
発表者
国立研究開発法人国立がん研究センター宮腰 純(Jun Miyakoshi、筆頭著者)、白石 航也(Kouya Shiraishi、共責任著者)、望月 晶史(Akifumi Mochizuki)、立石 晶子(Akiko Tateishi)、井川 由希子(Yukiko Shimoda-Igawa)、虎澤 匡洋 (Masahiro Torasawa)、小野 華子(Hanako Ono)、大野 誠(Makoto Ohno)、吉田 幸弘(Yukihiro Yoshida)、吉田 達哉(Tatsuya Yoshida)、金子 修三(Syuzo Kaneko)、柳下 薫寛(Shigehiro Yagishita)、濱田 哲暢(Akinobu Hamada)、谷田部 恭(Yasushi Yatabe)、後藤 悌 (Yasushi Goto)、成田 善孝(Yoshitaka Narita)、渡辺 俊一(Shun-Ichi Watanabe)、浜本 隆二(Ryuji Hamamoto)、河野 隆志(Takashi Kohno、責任著者)
千葉大学医学薬学府 呼吸器内科学宮腰 純(Jun Miyakoshi、筆頭著者)、鈴木 拓児(Takuji Suzuki)
用語解説
注1:15番染色体長腕 (15q15領域)
ヒトの染色体は22組44本の染色体と、2本の性染色体から構成されています。各染色体はセントロメア領域をまたいだ短腕、長腕と呼ばれる2本の棒状の構造に分けられ、各遺伝子はこれらの領域に位置しています。15q15領域は15番目の染色体の長腕の一部であり、この領域にはMGA遺伝子を含む複数の遺伝子がコードされています。
注2:MYCシグナル
MYCタンパク質は様々な遺伝子の働きを調節します。MYCタンパク質による細胞内の情報伝達(MYCシグナル)は、細胞周期の促進、代謝のリプログラミングなど、様々な機能をもち、細胞のがん化やがん細胞の増殖をもたらします。
注3:酸化的リン酸化(OXPHOS)
細胞は、その活動に必要なエネルギーを得る過程で、炭水化物などの原料と酸素を用いて、細胞のエネルギー源となる物質であるATPを合成します。この反応は、細胞の中のミトコンドリアという器官で行われ、酸化的リン酸化と呼ばれます。がん細胞の中のMYCシグナルが強まると、がん細胞は酸化的リン酸化に依存して生きるようになることが知られています。なお、酸化的リン酸化はOXPHOSとも呼ばれます。
注4:MGA遺伝子
MYCタンパク質は、MAXタンパク質と結合して、様々な遺伝子を活性化します。MGA遺伝子は、このMYCとMAXの結合を防ぎ、MYCシグナルを抑える作用があります。がん細胞でMGA遺伝子の機能が弱まると、MYCタンパク質の働きが強まり、がん細胞の悪性度が高まると考えられます。
注5:EGFR遺伝子
EGFR遺伝子は、細胞の増殖を促す上皮成長因子受容体タンパク質をコードする遺伝子です。EGFR遺伝子に変異が生じると、常に細胞の増殖を促す異常な上皮成長因子受容体タンパク質が作られるようになります。そしてその結果、肺の上皮細胞の増殖の制御が効かなくなり、肺がんが発生する原因となります。EGFR遺伝子の変異を持つ肺がんは、オシメルチニブなど、上皮成長因子受容体タンパク質の機能を阻害する抗がん剤に弱いため、治療に用いられています。
注6:全ゲノム・エクソーム解析
DNAの中の遺伝子の部分の配列を読み取る方法です。これにより、どのような遺伝子が変異しているか、欠失しているかなど、様々な遺伝子の変化を検出することができます。
注7:RNAシークエンス解析
それぞれの遺伝子がどれくらい発現しているかを調べる方法です。それぞれの遺伝子の発現量の変動を調べることで、細胞の中でどのような情報伝達(シグナル)が増強しているかを知ることができます。
注8:ELESCLOMOL
ELESCLOMOL(STA-4783)は銅イオンと結合して細胞内のミトコンドリアへ運び、ミトコンドリアで行われる酸化的リン酸化を攪乱します。がん細胞が酸化的リン酸化に依存している場合、この薬剤により細胞死が起こりやすくなることが知られています。現在、この薬剤は、がんなどの疾患の治療には用いられておらず、また臨床試験も行われておりません。
お問い合わせ先
研究に関するお問い合わせ
国立研究開発法人国立がん研究センター研究所
ゲノム生物学研究分野 分野長 河野 隆志(こうの たかし)
Eメール:tkkohno●ncc.go.jp
広報窓口
国立研究開発法人国立がん研究センター
企画戦略局 広報企画室
電話番号:03-3542-2511(代表)
Eメール:ncc-admin●ncc.go.jp
